圧電スピーカーを利用した実証実験

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フォノグラムの物理的実証が確認できたと思います。
スピーカーの開発実験で偶然が重なり、可能となりました。
意外にも簡単な発想でした。

それは圧電スピーカーを聴診器のように利用して、響きの違いをマーキングしたものはフォノグラムと一緒だということでした。

無題11

フォノグラムは共鳴版の一点における音の響きのつながり具合を、含まれている音全てを耳で聞き取って射影図にしたものです。

圧電スピーカーは周囲の共鳴を利用して鳴るスピーカーなので、接触している共鳴状態が異なれば、それは異なる響きを出します。
また、、圧電スピーカーを共鳴版の一点に固定し、ヤスリで、フォノグラムを修正していけば、やはり全体の共鳴状態が変わりますので音色が変化することが確認されます。
私のしていることが物理的にも正当化されたということです。
(等音面というよりも等響面と言ったほうが正確でした。)
相当な屁理屈屋でない限り、スピーカーから出ている音の響きの違いがはっきりと確認できると思います。
この時、音源は同じCDの同じ曲を選んで聴き比べます。(再現性)
また、スピーカーから出ている音を振動数分析すれば、データとしての実証も可能です。
これはスペクトルアナライザーのフリーウエアーWEB SPECTRAM を利用しました。
縦軸に、振幅、横軸に周波数をとれば、今何の周波数たいがどれだけ出るのかということがわかりますが、これでは、動きすぎていて比較にはなりません。
そこで、少し工夫して、動いた周波数の振幅の積算値を比較することにしました。
ある一定時間の周波数の振幅の積算は明らかに客観的な響きの違いを反映した量として利用することができます。

vioradamore black hole
(フォノグラムの渦巻きの中心にあたる部分、黒点)

vioradamore white hole
(フォノグラムの孤立特異点、白点にあたる部分、渦巻きの対になるところ。)

これを注意深く比較しながら、共鳴版の各点の共鳴状態を同じになるように削っていくことができれば、フォノグラムの能力がなくても同じことができる可能性があります。
あくまで可能性ですが、原理的には、ここまでオープンにしてしまえば、何年、何十年かかるかはわかりませんが、フォノグラムと同値の理論的体型を築くことができるでしょう。

私は、この実験結果が明らかになってから、約一ヶ月間悩みました。
特許や商売のことなど、いろいろと悩みました。
このままブラックボックスにして、製品化するのか?
それとも特許をとって(とれたとして?)事業を展開していくか?
などなどです。

嬉しいはずなのに、苦しい日々が続きました。
なぜなら、そう考えることは創造的思考とは相反してしまうことだからです。
個人の利得が私の研究上のモチベーションになったことは一度もないばかりか、
とてつもなくうつ的な気分になってしまうのです。
一度でも、創造の喜びを知ってしまった者であるならば、
一度でも、天の至福とともに訪れる閃というものを経験してしまったものならば、
私の言っていることが単なる綺麗事ではなく、真実だということがわかるはずです。

かといって、私には研究以外何もありません。
恋、結婚、家庭を持つことなど、すべてを犠牲にしてやってきたわけですからこれが最後の切り札になるかもしれないという思いもありました。
私もいい加減、普通になって腰を落ち着けたい、そう思ってもバチは当たらない。
しかし何をどう考えてみても心がすっきりしません。
創造のインスピレーションの源は、無私になったものだけに与えられる特権のようなものです。私の個人的願望や、特許のようなケチくさい発想などそこに入る余地はないのです。
そもそも、フォノグラムとは、権利や利得のようなものとは結びつきようのない概念です。
何のために今まで研究してきたのか?
大いに悩みましたが、決して、私のチンケな個人的願望を叶えるためではないことははっきりとしています。

見たいと思う世界の変化にあなた自身がなりなさい  マハトマ ガンジー

我々は、今、はっきりと歴史の断層をわたっています。
人類の間違いは、明らかに所有権に基づく発想から来ています。
フォノグラムは、これらの発想には馴染みません。
私は、研究の成果をフルオープンにすることに決めました。
このフォノグラムという現象に関する限り、私が地球上の誰よりもフロンティアーにいます。
科学的に解明されていようがなかろうが、事実は動きません。

フォノグラムの物理的側面についての実証の可能性が出てきたことにより、
音と形態に関する問題、(楽器製作、スピーカー製作など音響に関する形体に関する問題など)の謎が科学的に解明される道がついたと思います。
フォノグラムを仮定しなくても、同じことができる可能性があるということです。
また、フォノグラム能力は無私な人間に与えられる特権のような能力です。
この能力を手にできるのならば、その人は、善人に違いありません。
そう言う意味からも、研究はフルオープンにすべきだと考えました。

そう簡単に技術適応用までは追いつかれないという確信もあります。
そもそも、ほとんど誰も注目していませんが、、、。

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