探していた振動
共鳴板のタッピングトーンは複数の音の集合であり、これを音列集合と呼ぶことにする。
音列集合は無限集合であり、形式的にはフーリエ級数として書くことができる。
この無限の音列が、共鳴板上の全ての点において同じになる時、その共鳴板の音響スペクトルはホワイトノイズになるはずである。
ならない共鳴板、板切れの音列集合を調べると、あまり多くの種類の振動数が含まれていないことに気がつく。
というのは、鳴る部分と 鳴らない部分がはっきり分かれていることが聞き取れるからである。
鳴りすぎる部分は、音列集合がある周波数の音の協和関係の音だけが含まれている。
これは一見いいように見えるが、限られた音列しか含まれていないことを示す。
また、逆に、鳴らない部分に関しても、逆の意味で限られた音列しかない。
これが、フォノグラムの渦巻きがたくさんあることと、その音響スペクトルがホワイトノイズ型になっていない理由の一つである。
また、協和のピークと不協和のピークが交互に現れるという経験的事実は、音列集合の配合を連続的に変化させる時、新しい音を作り出す毎に、それまでの音列の協和、不協和のピークが振動するからである。
新しい音とはそれまでの音列集合の周波数には含まれない互いに素な物でなければならないから、
この、協和のピークと不協和のピークの振動の極限は、最終的にホワイトノイズに導くのである。
経験的にははっきりとしていることだあるが、この協和ピーク振動の触れ幅は、アル極限に近づく。
基本的に各点の音列集合の音を増やすことは、互いに素な周波数成分を増やしていくことである。
これがホワイトノイズになるということに結びつく。
むしろ、ホワイトノイズの新しい定式化!
驚くべきことに、ホワイトノイズを作り出すことは、協和、不協和という生理的反応を利用したフォノグラムの方法でたどりつくことができるのである。
また、これは数学的にも記述する事が可能であると同時に、音楽的にも矛盾していないという結論に達する。
これが、数学と音楽をその故郷に返すといった意味である。
ここにきて、初めて、主観的といわざるおえないフォノグラムの方法が合理化されるのである。
鳴らない楽器の音響特性は中間部の振動が少ない。
これは互いに素な音がまだ少ないために起こることである。
互いに素である音が多く含まれていればそれだけ、音のバリエーションを増やすことができる。
理論的にはそれは無限個考えることができる。
それは比が無限にあるということであり、言ってしまえば素数のことである。
音階はスケールに依存しないのも、比率だけが問題だからである。
このことは素数に対する新しい見方を生み出したことになる。