純粋な雑音をどう作る?

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現実的には、純粋な楽音も、純粋な雑音も存在しない。
それは、ある極限として観念的に存在するのみである。
ここで、そんなものは存在しないが、純粋な雑音のことを理想ホワイトノイズと呼ぶことにする。
理想ホワイトノイズを、ある現実的な操作の極限として定義したいのだが、その操作がフォノグラムの渦を消す操作にあたる。フォノグラムの渦を消すという操作は、音列集合の全ての要素を同じにすることと同値である。
この操作の極限を理想ホワイトノイズの定義としたいのであるが、その前に、協和音と不協和音、それとホワイトノイズの振動数比に着目した時、何が見えてくるのかを考察してみる。

まず和音が協和関係になるのは、その音が単純な整数比に鳴る時である。
この制約条件の中で、徹底的に研究されたのが音楽という科学である。
もちろん、音楽というのは芸術だが、どんな芸術にも制約条件はあるのである。
そこの部分に目を向けてみたいということである。
この制約条件のおかげで、同時に重ねあわすことのできる音の数は制限を受けることになるし、
いわゆる調が決まってしまう。

協和関係というのは、無限にある音の集合からそのほんのわずかの部分集合を取り出したに過ぎないのである。

さて、ここでの目的は理想ホワイトノイズを作ることにあるのだが、それは、単純な整数比の和音だけではとうてい構成することができない。
むしろ、全ての音を含んでいなければ鳴らないので、それは、単純な整数比どころではなくなってしまう。
互いに素な無限個ある整数比の集合、これが理想ホワイトノイズに含まれている音の集合であるはずである。
それは素数の集合と同じものであるはずである。

限られた周波数の音しか含まれていない場合、その倍音関係や振動数比の最大公約数の音などは含んでいることになるが、素として含んでいない音に関しては全てを尽くすことができない。

これは、たとえば 素数が1,2,3しかない場合
1,2、3、4、6、9、、、、
のように歯抜けになってしまう。
十分に互いに素な要素があればそんなことにはならないのである。
たとえば、素数が1,2,3,5,7、の場合、この場合だけでも音の集合の豊富さは上の場合と格段に違ってくる、たった二つ付け加えただけであるにもかかわらず。

このことと、楽器のもつ音色のキャラクターは大いに関係する。
十分な音の構成要素になるべき素元がないのである。これを素音と呼ぶことにする。

鳴らない楽器や板の状態は、この素音が少ないのである。
その代わりに、音が少ない分部分的には協和度の高いところが存在する。
これが、なぜか、ただの板切れのほうがこすると大きな音を出す理由の一つである。
また、同時に全然ならないデットポイントが存在する。
これが不協和音列集合のピーク、フォノグラムの渦である。

フォノグラムの渦を消すという操作は
素音を作り出す操作である。

その操作の極限を理想ホワイトノイズの定義としたいわけである。
そしてこのとき、現実の共鳴板にはヴァイオリンの隆起が自然と現れているのである。

なぜそうなのかという説明はつかない。これに対する答えはたぶんないであろう。
ただはっきりといえることは、音と形にはこのような関係があるという事実である。

これを人体の皮膚膜に適用した時、病気を治したり、怪我を治したりする以上に、
人間を次の進化の段階に引き上げるであろうことをまだ誰も知らない。
この研究の本当の狙いはここにある。
このことに触れるにはまだ時期が早すぎる。

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