第36回「全ては自分の蒔いた種」

人間というのは、
「何かを育てることでしか自分自身を育てることは出来ない」
という側面があります。
誰かのためにやっているようで、実はそのことによって自分自身が救われている。
社会生活の中で、フォノグラム図形を整えていく方法が実はこれなのです。
何かを育てるという行為の転写が自分自身に起きることで、種そのものの可能性の塊にまで戻ることができます。

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